昨日、子供の空手の試合の応援に行ってきました。
子供に願う事は、人の痛みが分かる人間になって欲しい。
試合前の緊張感はやった人間でないと分かりません。

私も昔、空手をやっていました。
当時の心境は漢文で出会った“木鶏”に憧れました。
紀渻子(きせいし)、王の為に闘鶏を養ふ。十日にして而して問ふ、鶏已(よ)きか。曰く、未だし。方(まさ)に虚憍(きょけう)にして而して気恃(たの)む。十日にして又問ふ。曰く、未だし。なお影響に応ず。十日にして又問ふ。曰く、未だし。なお疾視(しつし)して而して気を盛んにす。十日にして又問ふ。曰く、幾(ちか)し。鶏、鳴くもありと雖(いえど)も、已に変ずることなし。之を望むに木鶏に似たり。其の徳全し。異鶏敢(あえ)て応ずるもの無く、反って走らん。